■- ブラジルIBITA国際会議出席報告 -

平成13年9月4日  山梨温泉病院 理学療法士 伊藤 克浩

 この度、IBITA(国際Bobath講師会議)のAGM(国際ミーティング)へ出席して来ましたので下記に紀行文形式で報告します。同行者は本文中に紹介してあります。 

成田空港出発
 JALのカウンターでチェックインした後、曽根政富先生(順天堂医院 理学療法士)、冨田昌夫先生(神奈川リハビリテーション病院)と合流。飛行機の座席を通路側に変更した。これは曽根先生のアイデアであったがこうしたことで足が痛くなったらすぐに通路にでたり、ひとに気を遣わずトイレに行けたりした。渕雅子先生(誠愛リハビリテーション病院 作業療法士)も合流して成田空港を7時過ぎに出発した。

サンパウロ空港到着
 ニューヨークからサンパウロまでの飛行機は一転してまさに快適そのものであった。ニューヨークで降りた隣の日本人乗客三人組の代わりに乗ってくるお客さんはなく、シートベルトのサインが消えたと同時に4つのシートを独占することができたのでビジネスクラス以上のフラットシートで熟睡できた。飛行機から見た朝日が雲の間から現れる様は幻想的ですばらしい物だった。

 長いフライトの後、サンパウロ空港に到着、入国審査はあっけないくらいに素通りできた。冨田先生の神奈川リハビリテーション病院で研修し、その後ブラジルに帰国してクリニックを開いたロザリーさん、エレナさんたちが空港に迎えに来てくれていた。 空港でUSドルを現地のお金のレアルに交換した後にホテルに向かった。サンパウロ空港から市内までの道はひどい渋滞で2時間かかったが、町並みはプロバンス風の煉瓦や白壁に素焼き瓦という異国情緒あふれる町並みであった。




ロザリーさんのクリニック見学
 朝食の後ロザリーさんのクリニックを見学、プールとか診療室は個人で開業しているとは思えない程立派できれいな建物だった。その後A.A.C.Dという病院とリハセンターが一緒になった施設を見学。ブラジルでは最も大きなリハビリテーションの施設であるらしい。理学療法の内容は昔の日本の運動療法を見ているような感じでノースリーブの白衣が印象的だった。プールも常時理学療法士が入っていて、見た感じではハリヴィックテクニックが用いられているように見えた。全体の内容ではむしろロザリーさんのクリニックで行われている診療の方が先進的に感じられた。

 ここでロザリーさんに聞いたブラジルのリハビリテーション事情について触れておく。ブラジルは大学を卒業すると国家試験はなく理学療法士・作業療法士になることができる。そのためPT・OTの数は多く、ロザリーさんは最近PTの質が落ちてきていると嘆いていた。ちなみにサンパウロだけで毎年2000人の理学療法士が産出されるようで、開業はできるものの開店休業状態の理学療法士も多いそうである。OTはさらに深刻で勤め先がない人も多いと聞いた。

サンパウロでの昼食
 昼食は3時頃になった。ロザリーさん達に観光ガイドに良く出てくる串に刺さった肉をお皿に切り落としてくれるブラジル独特の焼き肉料理のお店に 連れて行ってもらった。次から次にでてくる牛肉は圧感であったがビールと満腹感で眠気はすでに限界になったので、食後ホテルに帰って2時間休 憩することになった。

 休憩の後、再びロザリーさん達と7時にホテルのロビーで待ち合わせてロザリーさんのお父さんの家に招かれた。そこ では日系の親戚や友人の方達が集まってくれて歓迎のもてなしと食事、お酒をごちそうになった。ブラジルの有名なお酒はピリンガーという名前 でトウキビから作られているが、アルコールが強力だった。




サンパウロ2日目
 翌日は8時の朝食後、9時にロザリーさん達が手配してくれたワゴンサービスが迎えに来てサンパウロ観光に出発。アイルトンセナのお墓、 サンパウロ大学を見学した後、市内で豆と肉を煮込んだ名物料理の昼食を食べた。そこではレストランの粋な計らいで厨房を見学させて もらった。

 昼食後リベルタージという日本人街へおみやげを買いに出かけた。まずは日系移民の歴史館を見学してから、おみやげを 買いに商店街に移動したが、そこで店主が我々にアメリカのテロ事件の事を教えてくれた。話によると空港も閉鎖されているらしくJFK空港を 一日早く通過できた事で足止めをくわずにすんだようだと教えられた。

 その後空港に向かいイグアスの滝へ向かう。イグアスの空港に迎えに来ていたガイドの人によると発電所はテロの影響で開いていないとのこと・・ブラジルにまで影響があると聞いて驚いた。深夜も12時近くにBOURBONホテルに到着。ホテルは入り口に五つ星が誇らしげに掲げてある伝統的なすばらしいホテルであった。帰りの便の心配をしながら四人でカフェに行きカイピリンガー(ピリンガーの水割りに氷・砂糖・レモンを加えたお酒)を一杯飲んだ後就寝した。部屋に戻って見たのニュースでポルトガル語だったので詳細はつかめなかったが飛行機がWTC(貿易センタービル)に突入するシーンが何度も放映されており、見ていて事の重大さに驚いた。

イグアスの滝観光
 早朝6時に起床してテレビをつけてみるとテロの続報を放送していたが死傷者の数などはまだ出ていなかったので未だ詳細は不明の様だった。ホテルの電話から日本に電話しようと試みるが不通・・仕方がないので朝食を取って観光に出かけることにした。

 イグアスの滝へはホテルから25km程車を走らせて到着した。まずは歩いて遊歩道から眺めることになったがその雄大な眺めは正に圧巻という表現しかできないほどすばらしく、また美しい眺めだった。ガイドさんの話によると滝は80%がアルゼンチンのもので20%がブラジルの物らしいが眺めはブラジル領内からアルゼンチンの滝を眺めるの方がきれいであるようである。遊歩道の終点はおみやげやさんで車が回っていた。その後少し川を下ったところからボートで滝に接近するツアーに参加した。ガイドさんに事前に脅されていたとおりパンツまでずぶ濡れになったが、滝に近づいたりラフティング(イカダ下り)の様にジャンプしたりとスリル満点のツアーを楽しむことができた。

 ホテルに戻って昼食。こちらにきて初めてガイドを通さずに食事を取った。ポルトガル語しか話せないウェイトレスに身振り入りの英語でなんとかパスタを注文、久しぶりに肉以外の物を食べたような気がしたが、ブラジルの料理は気候の為かパスタでさえ塩辛かった。
 午後からはアルゼンチンとパラグアイとブラジルの国境が接する川の分岐を見学、空港に向かう途中で大きな観光客用のおみやげやさんに寄った。そこでは買い物を手早く済ませ、裏にいたくちばしの大きなブラジルの国鳥も見ることができた。その足で空港へ、サンパウロで乗客を入れ替えてリオへ到着した。

リオデジャネイロ
 空港からホテルまでの道沿いは先進的な建物であふれていてむしろサンパウロの方がヨーロッパ様できれいな町並みであった。IBITA AGMの会場にもなるエベレストホテルRIOにチェックインして一階のDONBURI EDO(江戸)という日本料理店で夕食をとった。焼き鳥丼を注文して食べたが想像していたものより奇抜なものではなかった。ブラジル産の日本酒もおいしかった。ホテルの部屋は窓の正面にコルコバードのキリスト像が正面にそびえる絶好のロケーションであった。

IBITA AGM初日(2001年9月16日)
 午前中4人でリオ市内に出かけて買い物。午後からIBITA会議に出席した。まずニューインストラクターの紹介で渕先生と私の名前がコールされ、出席者の拍手で承認された。続いて規約事項などについて話し合われた。そして事務局秘書のポール氏が名誉会員として承認された。続いてキャンディデート(インストラクター候補生)がインストラクター承認前に1度はAGMに出席しなければならない事、シニアインストラクターとアドバンスドインストラクターは2年に1度はAGMに出席しなければならないことが取り決められた。

 夕方からはウェルカムパーティが開催されホテルの屋上で各国のインストラクターと交流を深めることができた。その後、渕先生の部屋に集まって同行者4人でカップヌードルやみそ汁を飲んだ。そろそろ日本食が懐かしく思えた。




IBITA AGM 2日目
午前中は会議の続きで起案者のレポートがいくつか紹介され承認された。午後は以外と早く終了し、次回のジェノバのAGM紹介とその次のスイスのAGM案内、そして2004年の東京でのAGMの予定が紹介されビジネスミーティングは終了した。夕方からはパーティーでサンバダンサーズの熱いもてなしを受けた。







IBITA AGM 3日目
 午前中はPREFEEDINGの講義・午後はアルツハイマーの視覚の問題について講演が行われた。内容はPREFEEDINGについては姿勢や食物の工夫などについて、アルツハイマーの視覚の問題についてはアルツハイマー病と診断のついている方の数パーセントは後頭葉の視覚野の障害で、視覚で判断不能な物品も触覚では認知できるという内容であった。どちらも日本では既に以前にトピックスになっている内容だったので学ぶべきものは少なかったような気がした。

 講義終了後はIBITAメンバーで夕食会に出かけた。メニューはやはり焼き肉で、毎日肉を食べているような気がして少々気が重かったがバイキングに置いてあったお鮨はなかなかおいしかった。 曽根先生や冨田先生の話によると今回のIBITA AGMは参加人数がいつもより少ないせいか、みんな日本のメンバーに気を遣って話しかけてくれるし、全体にフレンドリーな印象らしい。私もジョンデンモア(アメリカ/シニアインストラクター)やアルゼンチン・ブラジルのメンバーと親しくなることができた。

リオデジャネイロ市内観光
 ブラジルで過ごす最後の日はリオデジャネイロの観光を満喫した。まずはヒッピー市でおみやげ等を購入した。ここは革製品が有名らしくバックやクッションなど変わったものも多く見られた。全体に絵画などの美術品も多く一見の価値がある。日曜日の九時からしか行われていないようなので私達は非常に幸運であった。

 ヒッピー市は半日いても飽きないくらい楽しかったが、いろいろ回るところも多いのでそこを後にしてコルコバードの丘に登った。丘には電車で登るのだが登る途中も眺めが良く、また不思議な果物にも出会うことができた。頂上のキリスト像は独立100周年に建てられたものでリオの市街のどこからでも見えるくらいの大きな建造物である。  丘を降りて日本人の経営するお土産やさんでサッカーボールやユニホームを購入した後昼食に向かった。昼食はさすがに前の日も焼き肉だったので日本人ガイドに頼んで中華料理にしてもらった。コパカバーナ海岸沿いの中華料理屋で中華のコース料理を食べた。

 午後はロープウェイを乗り継いで丘に登ったり、リオのカーニバルの会場を見学したりした。大聖堂のステンドグラスはすばらしい光のモニュメントで私達を迎えてくれた。
 夕食はホテルに帰って一休みした後にコパカバーナマリーナ近くのシーフードレストランで食べた。あいにくの天気だったが食べ応えあるエビと飲み放題のワインがおいしかった。 ホテルに1度戻って旅行会社に飛行機の状況を確認すると土曜日に1度JFK経由で便が飛んでいるようなので少し安心したが詳細は明朝でないとわからないらしい。とりあえず10時に「イパネマの娘」が作曲されたというレストランの筋向かいにあるライブのあるバーに出かけた。ショーはなかなかのものでギターとあちら独特の打楽器類がボサノバらしい雰囲気をかもしだしていた。思わずCDまで買かってしまった。










日本への帰路
 朝一番に冨田先生のところにロザリーさんから航空便は通常通り日本行きが出ているという連絡が入って一安心した。 昼食は初日利用したホテルの一階で取った。定食を頼んでみたら次から次に天ぷら・冷やし中華・みそしる・お好み焼き・にぎり鮨・巻きずし・ドライカレー丼・焼きそば・・と、日本食らしき小鉢のオンパレードが出てきた。これだけのボリュームと種類で日本円にして500円とは驚いた。午後は買い物に出る予定だったが、渋滞を予測して早めにホテルをチェックアウトして海岸を散歩した後空港に向かった。リオデジャネイロの空港では持ち物検査でコンピュターの電源を入れて見せろと言われ、少し厳しさを感じたが無事通過してサンパウロへ向かった。サンパウロで国際線に乗り換えなければならないのだが到着してJALのチェックインカウンターを探したが見つからなくて(時間まで看板も出ないらしい)慌てたがその後無事チェックイン。外で残っていたレアルを使ってお土産を買った後、出国審査を受け免税店で最後の買い物をした。サンパウロの免税店は品揃えが少ないのでお土産として小物を買うつもりなら外で買ってから出国審査を通った方がいい。

 サンパウロからJFKまでは行き同様席は空いていて、行き同様熟睡できた。9時間後ニューヨークに到着、着陸するとき遠くにマンハッタン島のビル群が見えた。本当ならあそこにあと2本ビルが建っていたのだろうか・・。 帰りは1度入国手続きを取るようで、面倒臭さはあったがJFKの免税店をいろいろ見て回れた。メジャーリーグのショップではやはりイチローのTシャツが人気な様で売り切れていた。2時間あまりのトランジットを経ていよいよ日本に出発。13時間のフライトは辛かったが事件の影響か行きよりは空いていたので思ったより快適であった。

成田到着
 ニューヨークの事件の前日にJFKを通過し、再開通2便目で帰国するというスリリングな旅であったが会議も含めて楽しく有意義なものであった。赤い屋根と緑の植物、そして太陽がまだ目にしみているようだ。